ウズベキスタン遠征記
右からナザロフ支部長、藤原師範、私
(2000年9月)
日本では残暑厳しい9月13日〜9月21日に、長野支部長、藤原師範とウズベキスタンへ行ってきました。今回の遠征の目的は、当地での大会の主催と空手セミナーです。藤原師範とは7月のハンガリー合宿でも一緒でしたので、それに続いての遠征となりました。藤原師範は私がひそかに尊敬している先輩の一人で、大山総裁が生きていらっしゃる頃のこんなエピソードがあります。全日本大会での事です。藤原先輩が試合で戦っている最中(当然、私達内弟子も応援にまわっていました)、大山総裁の付き人をしていた仲間の内弟子が走ってきて、総裁の伝言だということで聞いたメッセージは、次のようなものでした。「あれが空手の動きだ。良く見ておくように」という事です。もちろん、この伝言が届く前から、藤原先輩がすばらしい試合をしている事は自分達にもわかっていましたが、大山総裁が伝令をよこす程であったという事です。ハンガリーの合宿でも、藤原先輩の稽古指導は評判が良く、武道家としての風格もあるので、女子部からの人気も高いものがありました。
今回の遠征は、韓国(ソウル)経由で、ウズベキスタン(タシケント)へ行くというものでした。ソウルで8時間待ち(4時間はホテルで休む)、夜遅く、タシケントへ向けて出発しました。7時間後、タシケントに着いたのは現地時刻の夜中の2時(時差は4時間)でした。そこから出迎えに来てくれていたナザロフ支部長達4名と自動車で約500キロは離れたナボイという街へ7時間かけて移動しました。車が揺れてほとんど寝ていない為、体調はあまり良くありませんでした。
初日は疲れを取るということで、サウナに入ってゆっくりしました。翌日はナボイから約100キロ離れたブカラという古い街へ行き、遺跡の見物です。大昔、シルクロードが通っていて、街は賑わっていたようです。イスラム教が中心であるため、その影響を受けた建造物が主でした。このウズベキスタンという国、例えるならインド、中近東、ロシア(しばらくロシア支配が続いていたので)をミックスしたような不思議な国でした。私は20数カ国を訪れた事がありますが、初めて見る感じの国であった事は確かです。中央アジアで砂漠もある国のため、とても暑く、藤原師範もこの熱さには相当参っていたようです。
9月16日、第2回ウズベキスタン空手道選手権大会が開催されました。ウズベキスタン極真の人口は約2000人という事でしたが、この大会の参加選手は一般、女子、少年で約80名でした。極真が始まったのは8年前というだけあって、まだ試合をやれるような技量ではない選手がとても多く、レベルは高いものではありませんでした。一生懸命やっている選手もいれば、やる気があるのかないのかわからない選手もかなりいました。ちなみに選手は全員色帯で、ほとんどが緑帯以下でした。
私達は、まず藤原師範が開会式の挨拶をされ、その後2人でルール説明の演武をしました。そして二回戦以降、私が主審をし、3位決定戦、決勝戦は藤原師範が主審をされました。副審は現地の道場生だったのですが、判定基準がおかしいので、私達は大変苦労してしまいました。でも、優勝した選手はそれなりに根性を見せて頑張っていました。サヨナラパーティーは盛り上がっていましたが、体調が良くない私達は早めに休むことにしました。
翌日から空手セミナーです。初日の夜の部、2日目の朝・夜の部、3日目の朝の部と、計4回稽古を行い、3日目は昇級審査も行いました。日差しが強いので、朝は9時半〜11時、夜は5時〜7時と日中は避けるようにしました(道場に屋根がないからです)。
ナザロフ支部長が主催するヌルハススポーツセンターの道場生は約100名、これに他の道場生も参加していたようです。ヨーロッパ、ロシア、中近東の空手技術をミックスして取り入れて稽古して来たため、癖が強く、直しようがない状態でしたが、何とか稽古を進めました。藤原師範は上級クラス、私は初級クラスを担当しました。少年部も一緒にやりましたので、もうメチャクチャになってしまった時もありましたが、ひと通りの稽古は終了することができました。
審査会は初級者ばかりでしたので、そんなに時間もかからず、無事終了、全員昇級できました。この後、サウナで汗を流し、昼食を食べ、明日の朝帰国するため、観光を兼ねて早めに少しでも移動しておこうと、空港までの中間地点にあるサマルカンドへ向かいました。ここでも大きな宮殿が沢山ありました。ウズベキスタンは綿花が有名ですが、移動中、綿花畑がたくさんあり、摘み取っている風景を見る事ができました。サマルカンドのホテルで3時間寝たあと、夜中の2時頃出発、闇の中を車で移動し、朝7時にタシケントに到着。ナザロフ支部長達と別れ、ウズベキスタンを離れた後は、韓国のソウルで一泊しました。ウズベキスタンではほとんどおいしい食べ物がなかったので、ソウルで藤原師範と焼肉を食べた時は生き返りました。本当にお疲れ様でしたという感じでした。
翌日、日本へ向けて出発、昼頃に無事日本へ到着しました。わずか9日間程日本を離れただけなのに、1ヶ月ぐらいに思えるほど、長く感じました。2人ともゲッソリといった感じです。ただ、さらに見聞を広げることができた上に、ウズベキスタン極真に少しでも協力できた事は確かなので、良かったとは思います。全てが良い勉強になりました。現地でお世話になりました皆様、ハードな遠征でご一緒させて頂いた藤原師範、そして大山総裁、本当にありがとうございました。