柚井ウルリカ三段




昇段審査レポート

2005年12月4日は私にとって10年ぶりの昇段審査の日でした。朝起きて、とても緊張していたと同時に「やっと終わりが近づいてきた」という気持ちもありました。審査を受けようと思ったのは半年前ぐらいです。師範から「12月におまえは審査を受けろ」と言われて、「押忍!」と答えてしまいました。その時から不安がありましたが、「押忍!」と言った以上、練習しないといけないと思い、やる気とあせりと緊張の気持ちが混ざった状態でした。

この半年間、自分の「空手人生」を振り返ることが多くありました。
私は空手を始めて21年もたちました、日本に来たのは17年前です。スウェーデンのミカエル・ソデルクヴィスト師範の道場で入門したとき、まさか私の人生で空手がメインのものになるなんて思ってもいませんでした。高校1年生のとき、たまたま友達から近くに空手の道場があると聞き、面白半分で一度体験をしたら、なんとなく面白いと思い、そのまま入門しました。当時、私は空手を全く知らなかったので、何で空手に惹かれたのか全くわかりませんでした。ミカエル師範は日本の本部道場、大山総裁の元で稽古したこともあって、彼は日本がとても好きですから、道場の雰囲気、稽古内容など本部道場と同じような感じでした。稽古をしているうちに、私はだんだん日本にも興味を持ち始めました。空手のことを何もわからないで始めたのですが、入門した時から「皆んなって格好いいな」と思いました。特に女子の先輩たちに憧れました。よく覚えているのは、オレンジ帯を締めた先輩を初めて見て「え〜!女の子でもオレンジ帯になれるんだ!」ととても感動した事。また、準指導員として手伝っていた緑帯の先輩もすごいと思いました。「彼女みたいには私は絶対なれない」とも思いました。彼女の稽古はとても厳しく、つらかったです。私がまだ白帯の時のことですが、ずっと騎馬立ちの移動稽古をさせられ、全員の足が震えて少しだけ膝を伸ばしたらその先輩の怒鳴り声が聞こえ「足が折れない限り、姿勢を崩さない!」とても印象的な先輩でした、男性も彼女の稽古を嫌がっていました。
でも、もちろん道場ではミカエル師範が一番怖かったのです、ミカエル師範が道場に入るだけで雰囲気が変わりました。初めての審査もとても緊張しました。ミカエル師範の審査は厳しくて、長いです。その時は「黒帯なんて絶対にありえない」と思いました。武道伝統のないスウェーデンではこの感じの厳しい雰囲気、礼儀作法などはとても珍しいのですが、私は違和感がまったくなく、逆にそれに引かれた部分がありました。

高校を卒業し、私は南スウェーデンのヨーテボリ市に引っ越しして、一人暮らしを始めました。そこではハワード・コリンズ師範の元で空手を続けました、そしてその一年後、ストックホルム大学で日本語の勉強のためストックホルムに引っ越しました。ストックホルムではブライアン・フィトキン師範の道場に移りました。その時は19歳で、空手を始めて4年が経っていました。黄色帯でした。日本語を勉強しようと思ったのも特別な理由はありませんでした。空手をやると決めたときと同じ感じで、突然「日本語を勉強しよう!」と思いついただけです。その時はまだ日本に行こうなどとは思ってもいませんでした。ただ、自分は本当に何になりたいのかはまだわからなかったから、今やりたいのは日本語の勉強だと思っただけです。思いついたと言っても、その思いはとても強かったですが、理屈で説明できるような思いではなかったのです。
そして、一年近くがたって、日本に行こう!とまた同じ感じの強い思いが自分の中から浮かんできました。もちろん日本で、本部道場で空手をやりたいと思ったのですが、日本という国にとてもあこがれていましたので、空手だけでなく、日本そのものを体験したいと思っていました。

本部道場で稽古をするためにはフィトキン師範からの推薦状が必要でしたので、それをお願いしたら「何をしに行くの?本部には女の子はいないよ!行っても意味がないよ」といきなり言われました。でもそれでも行くと言ったら推薦状を書いてくれました。また本部で練習するなら、それなりの練習をしておかないと、と言われ、いく前に3ヶ月ほど特別稽古を設置していただき、とてもつらかったです。当時のスウェーデンではフルコンタクトが禁止されていて、セミコンタクトのような組手をやっていました。そして、本部の組手はとても大変だと言われ、この3ヶ月間はずっと組手の練習ばかりさせられました。体中はあざだらけでした。出発前に一度母の前で洋服を着替えることがあって、その時私のあざだらけの足を見て母が声を出して驚きました。練習は大変でしたが、フィトキン師範にはとても感謝しています。
                               総本部道場での初めての審査会
                                        
そして、1989年7月28日日本へ出発しました。緑帯の4級で、21歳の誕生日の一週間前でした。一人で旅行するのは初めてではなかったのですが、地球の反対側まで行くのはもちろん初めてです。一番安い航空会社を選んだので、ロシアのアエロフロート航空で行きました、、、、成田についた時の印象はまず「暑い!!」そして女性が皆あまりにもやせていたのでとても驚きました。成田から東京への移動中は不思議にとてもほっとした気持ちでした、そして「あぁ、帰って来た!」という気持ちでいっぱいでした。

翌日初めて本部道場に足を運びましたが、ちょうど夏合宿で内弟子一人と受付のスタッフしかいませんでした。実際稽古を始めたのはその次の週でした。スウェーデンでは日本語の勉強をしていたので、かなりの自信がありました。しかし、実際に人と話を始めたら、何もわからなかったし、自分で言いたいこともほとんど伝わりませんでした。でも、自分の中では絶対日本語を覚えたいというのがありましたから、英語で話しかけられても日本語で答えたりするようにしました。本部で初めて稽古をする時はもちろんとても緊張していましたが、稽古の流れはスウェーデンと基本的に同じなので、それなりに付いていけました。
本部では一部、二部、三部、があって、そして女子部だけの稽古もありました。私は仕事
           冬合宿@           をしていたので、夜の三部の稽古に基本的に出るようにしていました。その稽古には女の子がほとんど出ていなくて、最初は相手にもされませんでした。稽古以外のときは皆親切にしてくれましたが、稽古に入ると「男の世界」という雰囲気がとても強かったです。スウェーデンという国は男女平等がとても進んでいて、空手の稽古にも男女は同じ扱いをされていますから、少しショックでした。しかし、私はあまりそのことを深く考えないようにして、まず稽古を一生懸命することだけを考えました。そして、稽古を毎日出て、まじめにやっていたら、少しずつ受けいれられるようになりました。ただし、その代わり、たとえば怪我をしていても組手は絶対に休まなかったのです。当時の本部稽古には組手の前にその日組手できない・調子が悪くやりたくない人はやらなくても良かったのですが、そ
           冬合宿A            こで手を上げたらずっと相手にされないとわかっていましたから、調子が悪くても、怪我をしていても絶対に休みませんでした。

私は6ヶ月のビザで日本に来ていましたが、6ヶ月が近づいて来たらまだまだ日本にいたいと思っていましたので、ビザを延長しました。同じころ総裁の国際秘書として働き始めました。総裁のそばで働くのはとても貴重な体験です。また、総裁にはとても可愛がっていただきました。私がまだ若くて親元を離れて遠い日本に来たから総裁は日本の親だとよく言ってくれていました。ただし、総裁も私は今までいたほかの外人と同じようにすぐいなくなるだろうと思っていたみたいです。日本に来て一年半が経って、初めてクリスマスと正月休みで2週間ほどスウェーデンに帰国しましたが、総裁に「行ってきます、また来年よろしくお願いいたします」と言ったら、なんとなく冷たかったです。休みを終えて日本に戻ったら総裁はとても驚いていました「戻ってきたんだ!」。総裁は私が絶対にも          国際秘書時代
どって来ないと思っていたらしく、それから私に対しての接し方が更に良い方に変わり親切にしていただきました。

スウェーデンにいるとき、私は空手が普通の世界と同じように男も女も関係なく、皆が平等だと思っていましたが、やはり日本に来て、そして極真空手の本部にいると、極真空手には女がどうしても踏み込めない部分があるとわかりました。でも本部で働いたことによって、少しでもその特別な世界ののぞくことが出来たような気がします。もちろん、今は女性も男性も試合があって、またその試合がメインになっている部分もありますから、“男だけの世界”という部分が薄れて来たとは思います。また各道場には子供から年配の方が一生懸命空手を頑張っていますし、すばらしいことだと思います、そういう毎日の稽古の中では男と女の違いはないと思います。
          スウェーデン合宿 @       また競技としての空手では男子部門、 女子部門、少年部門があって、ルールの上で試合を行っているわけですから、当然それに向かって行う練習も男性でも女性でも子供でも変わらないし、取り組んでいる姿勢や真剣さも変わらないと思います。しかし、もともと空手には試合はなく、武道としてみんなが修行をしていたわけですから、そうするとやはり生きるか死ぬかという真剣勝負になると女は入り込めない世界だと思います。女性の空手人口が最近増えていて、それはとても良いことだと思いますが、それは試合があるから増えていると思います、試合という目標がなかったら、女性の中には男性と同じ「とにかく強くなりたい」と気持ちは基本的にないと思います。当時、私はとても気が強くて絶対そん
          スウェーデン合宿 A       なことを認めるはずはなかったのですが、
         年空手をやっていて、やはり女性と男性は違うんだ、とよくわかりました。ただし、その違いはあくまでも空手の深いところにあるわけですから、毎日の稽古はまったく違ってないと思いますし、女性にも男性と同じような稽古が出来るはずとも思っています。これからもどんどん女性の空手人口が増えてほしいと思います。総裁は女性の試合に大反対でしたから、当時はもちろん女子の大会は考えられませんでした。「女性は美しくなるために空手をやればいい、女性の殴り合いは見っとも無いんだ」と総裁はよく言いました。しかし、女性の大会には反対していましたが、稽古の時は平等に指導をしてくれていました。日本の女子の大会が始まったのは総裁が亡くなったあとですが、 今の女子の大会を総裁が見ていたらきっと認めてくれたのではないかと思います。あのとき、総裁が描いていた「女性の殴り合い」はアメリカで見た女子の格闘技大会女子プロレスだと思います。


仕事と稽古で忙しい毎日がずっと続いていましたが、とても楽しくて充実していた日々でした。当時、私は「外人ハウス」に住んでいました。
     全日本大会 演武      (外人向けの安いゲストハウス)そ
                 こに住んでいる皆が夜遊びに行っても私は練習があるから行けないと言ったら、皆、絶対に理解できませんでした。大会という目標があるわけでもないのに、何でそんなに練習しているんだ??とよく言われました。空手をやっていない人から見たらもちろん理解できないで
しょうが、空手をやっている人からも良く言われました。確かに、目標があったほうが練習しやすいのかも知れませんが、私は単純に稽古が好きでした。その時は自分の空手について深く考えてもいなかった、とにかく空手の稽古が好きで頑張っていました。そして、毎日の稽古の中で自分が試   大山総裁と(壮年部合宿)      されたような気がしますので、その毎日の稽古を乗り越えることが私の目
標だったのかも知れません。日本にいた最初の2年間はずっと稽古と仕事でとても充実していました。

まさか日本人と結婚するとは夢にも思っていませんでした!でも人生はどうなるか誰にもわかりませんよね。だから生きることがまた楽しいです!
1992年、“柚井先輩”と結婚しました、その時、初めてずっと日本に住むんだな、と実感しました。総裁はとても喜んでくれて、仲人もしていただきました。

2段の審査を受けたのはちょうど10年前です、総裁がなくなって次の年でした。その審査はたぶん最後の審査になるでしょうとどこかで思っていました。
この10年間は自分で仕事を始めて、子供二人を生んで、静岡から東京へ引越しをして、さまざまなことがありました。空手の
          結婚披露宴              稽古はずっと続けていましたが、仕事が忙
                           しかったり、出産などで思い通りの練習が出来なかったことも多かったです。練習ができないと、とてもストレスがたまるタイプですので、妊娠中でも基本的にはずっと練習をしていました(ジムなどで)また出産後もなるべく早めに運動を開始していましたが、長女のときは仕事も独立したばかりでしたから、とても大変でした。

5年前に立川に来て、主人が東京西支部を設立しました。これからもっと練習できるかと思ったら、やっぱりなかなか時間が取れなくて、イライラする日々が続いていました。でも、子供も成長するわけですから、自分の中には練習できないイライラがあってもそれは数年間の話です。
長いスパンで見ればどうという事はないのですが、その真っ最中にいるとなかなか大変ですよね。しかし、空手の稽古ができなくても他の運動(アエロビックスなど)は次女を妊娠している時ずっとやっていました、出産の二日前まで週3,4回練習していました、おかげさまで出産も楽でした!また出産6週間後には運動開始しましたから体力的にはそんなに落ちてないと思っていました、、、そして、去年からやっと自分の空手の稽古を本格的にまた取り組むことができたのですが、、、体を戻すのはやはり大変でした。

そして審査を受けると決めてからの半年間はさらに大変でした。稽古をしなきゃというあせりがあると同時に、仕事、子供のこと、家のこともあるわけですから、練習時間が限られているわけです。自分の頭には30人組手のための体力づくりなどをしなければならないことともちろん基本、型などをもう一度初心にもどって取り組まなければならないことでいっぱいでした。最初は毎日午前中自主トレーニングをするつもりで考えていましたが、その考えは甘かったです。そんな時間を練習に使っていたら、仕事がなくなってしまいます、、、結局週2、3回はランニング、サンドバックなどの自主トレーニングができましたが、審査が近づいてくると型などの練習ができなくてまたあせり始めました。一般稽古では上級の型はやらないから(そこまでの上級者はまだいませんから)、上級の型は自分でやるしかないが、その時間はない!とかなりあせった時期がありました。一般稽古では平安裏の型をいっぱいやっていましたので、不思議な事に限られた時間でも平安裏の型をやっていれば、上級の型の技の形さえ思い出せば、動きはそれなりに安定して力も入るのです。裏の型の練習はとても辛くて大変ですが、すばらしい練習なんだな、と本当に実感しました。また、いかに自分の考えは間違っていたこともよくわかりました。最初は半年まえから難しい型ばかりをやらないと間に合わないと思っていましたが、スケジュール的にはそれができなくて、またそういう考え方自体が型を一つの形としてしかとらえていないんだな、と思い知らせました。そうではなくて、毎日の基礎的稽古を自分自身がもっと真剣にやらないとだめなんだ、と少しずつ考え方が変わりました。一般稽古また少年部の稽古指導の中で基本稽古、移動基本、初級の型や裏の型をたくさんできたから結局それは自分の体力づくり、バランスなどすべてに役立ったと思います。結局、上級のものばかり、あるいは表面的な形ばかりを見ていても本当の意味では上達しないということがよくわかりました。 空手を始めて21年が経って始めてこのようなことを実感したのも情けないことですが(もちろん言葉では今までもよく理解していたつもりですが、本当の意味では結局理解していなかったということです)自分はできると勘違いしたらもうそれ以上成長しないんだなということもよくわかりました。

審査に対しての緊張感もありましたが、それより、毎回の稽古に対しての緊張が強かったかも知れません。夏の暑いときのとても厳しい稽古、、、基本、移動基本、型はもちろん、その後の恐怖のミットうち(毎回師範に蹴られ、床に転がっていた自分に対してとても情けなくて悔しかったです)、組手、そして元立ち、、、もちろん私だけでなく、他の稽古生もこの恐怖の稽古に対して同じ気持ちだと思います。うちは子供を見てくれる親戚なども近くにはいませんので、もちろん子供たちも毎日稽古を見ていましたが、組手やミットうちの時「ママ頑張れ!」また「パパ!ママを強く蹴らないで!」と子供の声がよく聞こえました。

このような感じでとうとう12月になりました。12月4日は午前中少年部の審査でした。娘二人も審査を受けたのですが、そんなことを気にする余裕もありませんでした。午後から一般の昇級・昇段審査が始まりました。道着を着て、道場に入ったら気持ちが少し楽になりました。基本、移動、型、体力テストなどに進んでいて、満足にはできてないと思いますが、とりあえず科目を一つずつクリアしていきました。そして最後に30人組手だけが残っていました。自分のなかでは一人目が終わればあとは残りの人数が減るだけと考えるようにしていました。もちろん途中ではとても疲れていたし、なんか自分の動きが取れなくて、満足した組手は出来なったのですが自分が今一生懸命やるしかないという気持ちでした。最後の数人になったら、かなり下がっていましたので、師範が怒り出して竹刀でお          昇段審査@
尻をたたかれました、、、痛かったです!(終わったら、次女に「ママお尻ペンされたね!痛かった?」と4歳の彼女にとってそれは一番印象的だったみたいです)30人目の相手は師範でした、これが終わったら全てが終わりだと思って最後まで何とかやり遂げることができました。

審査内容については満足してないところもかなりありましたが、やはりこのような審査は審査当日より、それまでのプロセスが自分にとってとてもプラスになるとこの半年間思いました。また、昇段はしましたが、昇段と一緒にこれからクリアしていかなければならない課題が増えたと思います。きつかった半年間でしたが、とても充実した半年間でもありました。やはり空手っていいですよね!と本当に思います。また、審査に向けて稽古を真          昇段審査A
剣に取り組んで来たつもりですので、これからはそういう目標がなくても最初に本部にいたころの気持ちを思い出して、自分のための稽古をやって行きたいと思います。

そして、稽古を一緒にして来た稽古生また審査当日組手の相手をしてくれた稽古生に対してはとても感謝しています。また、竹刀でたたかれて痛かったですが、いつも厳しい稽古をしてくれる師範に対しても感謝しています。道場ではとても怖くて厳しい師範ですが、家ではやさしい夫です!また、本当は友達と遊びたい、家でゆっくりしたいのに自分たちの稽古以外に親の練習までも夜遅くまで見るしかなかった子供たちも大変だったと思います。
最後に、スウェーデンの道場で入門したときに、私は日本に住んで一生空手を続けること          昇段審査B
は夢にも思いませんでしたが、その空手をつ
くって下さった大山総裁にも深く感謝しています。ありがとうございました、押忍!


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