鈴木文哉





鈴木文哉
僕が、この東京西支部に入ったきっかけは、以前、東京西支部にいた藤森先輩が、ポストに入れてくれた、一枚のチラシを見て、空手というものをやってみたいと思い、入会しました。そのときは、いまのように厳しい稽古だとは、思っていませんでした。
初めての稽古では、基本稽古、移動稽古、型を集中的にやり、その後は、おにごっこのような事もしましたが、途中で怒られたりすることも何度もありました。
こうして、稽古を積み重ねていき十級の昇級審査を授けました。審査前日は、すごく緊張しましたが、審査会場に入ったとたん、緊張がほぐれ、頑張ってオレンジ帯をもらいたいという気持ちで審査に望みました。
準備運動を行い、基本稽古は、いつもより本数が多くて疲れてしまいました。移動稽古は、まちがえずにできましたが、この日は時間がいつもより長く感じました。その後の型は、白帯は太極その一から、太極その三までで、後は正座をして先輩達の型を見ていました。そのとき僕は、
「先輩達の型はさすがにうまいな。」
と、思いました。そして、型がすべて終わり、三本組手になりました。基本的に白帯はやらないのですが、一番最後に並び、先輩達のを見ながらやりました。その後は、ふだんの稽古ではやらない、帯飛びをやりましたが、足が震えて、ちゃんと飛べませんでした。その次のスパーリングでは、足がほとんど動きませんでした。最後の全力組手は、先輩達が激しくぶつかり合って頑張っている姿を見て僕は、
「僕もあんなふうになりたいな。」と思いました。そして、最後のしめのときはやっと終わったと思い、全身の力がぬけました。
そして、十日ぐらい経った後、オレンジ帯をもらうことができて、ものすごくうれしかったです。しかし、オレンジ帯になったら、覚えることが多くて大変でした。師範や先輩に一対一で教わることもあり、厳しかったけれど次の審査のために頑張りました。
このとき、僕は、北関東交流試合に出ました。同じ支部の人達もたくさんいましたが、僕は、空手をはじめて四ヶ月ぐらいしか経っていなかったので、知っている人の顔が少なくて、とまどいました。
一回戦目の相手は、僕よりはるかに上の級の茶帯の人でした。僕は、緊張してしまい、あまり体が動かないまま負けてしまいました。僕は、その相手が初めての試合で戦った相手なので、今でもはっきり覚えています。
その次の週に東京西支部で初めての合宿がありました。一日目は、基本、移動稽古、型をやり、二日目は、組手を中心にした稽古でした。ふだんしゃべらない人達としゃべったり、外でボール遊びなどをして楽しかったです。次の日は、組手やミットをやって最後に反り飛びをやったりと、前の日とはちがってかなり厳しいものでした。合宿後は、筋肉痛になりました。
こうした、厳しい稽古を続けていき、つらいなと思うこともありました。そんな僕をいつも支えてくれたのは、親でした。稽古に行きたくない日でも、親が声をかけてくれて頑張っていこうという気させてくれました。
親がいなくて、自分一人でやっていくというのは、絶対に無理なんだと改めて思いました。
八級の審査を授ける前の日に熱をだしてしまい、母は、僕にずっとつきっきりでいましたが、熱は下がらないまま審査の日が来てしまいました。しかし、僕は、熱がでたまま審査会場に行きましたが、具合の悪そうな僕に気がついてくれた師範が、
「力を入れなくてもいいからできるかぎりのことはやれ。」
と言ってくださり、審査を授けることにしました。
頭がふらふらして手足が思うように動かなく、汗がいっきにふきでてきましたが、それでもなんとか最後までもち、師範に、
「頑張ったな。」
と、言ってもらいました。そして八級に昇級することができました。
その後、支部内の交流試合あるということで稽古がものすごく厳しくなりました。
試合の日、もう少しで優勝だったのに、負けてしまいました。僕は、稽古だけをしっかりやり、家では、ほとんどなにもやっていなかったので、それで負けたんだと自分で思いました。このときの試合の結果は僕は四位でした。
そして、極真空手はじめてから一年後、黄色帯の審査を授けました。黄色帯は、前の級とはぜんぜんちがい、黄色帯の先輩の数は少なかったので、いままでとはちがう緊張感がありました。審査が終わり、後は帯がもらえる日をまつだけでした。一ヶ月程経ち、僕は、黄色帯もらうことができました。胸をはずませながら、師範に帯をもらいに行きました。そのときの気持ちはいまでも忘れられません。いままでで、一番うれしかったです。
そして、中学生になった今も空手を続けてたいと思っています。これからも、親の言うことをちゃんと聞き、強くなれるように頑張りたいと思います。
押忍




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